2010年05月

枕あわせ オーダーメイド枕
昨日ご来店の結婚予定の男性のお話です。
男性は泉佐野市1983年生 166cm 60kgガッシリした体型学生の時に野球をしていました。
現在そば枕を13年使用しています。
枕の好みは低めです、寝始めは上向き→右向→左向6うつ伏せ寝とフルコース
今年の一月に軽いムチ打ち(追突)ですが今は問題ありません。
腰は座骨部分が重いとのことです。
睡眠時無呼吸SASがありイビキがあります、耳鼻科での診断は鼻腔の変形とのことです
アレルギーなどはありません
ベッドの使用は無く、敷布団はマットレスです!
(マットレスの上に敷パットで就寝している。) 
【 これには驚きました。 】
 
Pm:11:30Am:7:007時間30分 90分×5回の睡眠時間でよく眠れています。
起床時首の痛みと体のだるさがありますが、腰の痛みや頭痛はありません、肩こりもありません。
就寝時に汗を多量にかきます。バンザイ姿勢と立てひざをしてしまいます。
就寝時~起床時までトイレに行くことはありません!
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     敷布団はマットレスです!
これでは汗の行く場所がありません、「就寝時汗を多量にかきます。」ということですが
就寝すぐに多くの汗が出ます起床時に向かって発汗量が減少しますのでこの汗が表面に残り冬場は温度が下がり寒く感じます。
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吸水性の良い敷布団を上に乗せましょう、化繊のものは汗を吸収しないので乗せないで下さい。
 
     楽天でテンピュールのマットが安かったので買ったとのことですが・・・
腰椎のカーブの少ない人には腰が下がりすぎて、上向き姿勢の時、腰に負担がかかります。
敷寝具の硬さの違いを体験して頂きましたので、違いがわかるようになったと思います。
この人に合った敷布団寝具の硬さを体験して頂きました・・・・
「バンザイ姿勢と立てひざ」これは敷寝具の硬さが合っていません
腰をかばう姿勢です、これが続くと上向きに寝づらくなり横向きや半うつ伏せ寝になってしまいます!
 
とりあえず、「テンピュールで寝て結果教えてください。」
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■オマケ■ 写真は今日の湿度と温度 お店の前で測定しました!
 
 

平成16年7月より平成大修復工事にかかり、本堂の他に表門、鐘楼、築地塀等の修理を行っています。
本堂にすっぽりかかる鉄骨の屋根をかけて大屋根を修復していましたが、覆いが取れて以前の姿がよみがえりました。
平成22年度で終了する予定です。(本年度に終了するのでしょうか??)
現在のご住職は卜半 顕(ぼくはん あきら)住職です。
地元では、ぼくはんさん→ぼっかんさん の愛称でよばれています。
(私が泉佐野市に住んでいるときは踏切の近くの感田神社をぼっかんさんだと思っていました。)
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願泉寺の歴史
願泉寺は、天文年間(1550頃)に初代住職である卜半斎了珍により復興され、それ以来の歴史を有しています。現住職で17代を数えます。
現在は西本願寺に属していますが、明治までは東西本願寺と関係を持ち、しかも寺内町である貝塚の領主でもありました。
貝塚寺内町に取り立てられたのは、何度かあるようです。
最初は、信長による雑賀攻め(天正5年・1577)の折りに攻撃を受け、その復興に際し信長から援助を受けたらしいとの記録があります。
2度目は秀吉からで、天正11年(1583)から2年間、ここ貝塚に本願寺が置かれたこととも関連します。
最終的には家康から、慶長15年(1610)付の黒印状を下賜されたことによります。
寺内町の独立性と、領主としての卜半家が保証され、僧侶による自治が明治まで行われました。
なお、東西本願寺と関係するのは、東西分立する慶長7年(1602)以前に本願寺が置かれたことに由来するもので、両本山歴代門主の絵像を蔵しています。これも他にはないことです。
 
願泉寺(がんせんじ)は、大阪府貝塚市にある浄土真宗本願寺派の寺院である。本尊は、阿弥陀如来。
起源は行基が建てたと伝えられる庵寺から始まり、本尊の阿弥陀如来立像も行基作とされる。応仁年間の1467~1468年には浄土真宗蓮如が立ち寄り教えを説いている。天文年間(1550年頃)には卜半斎了珍が住職となる。1583年(天正11年)7月、石山合戦で石山本願寺から紀伊鷺森御坊に撤退した顕如を迎え、1585年(天正13年)8月までの約2年間、浄土真宗本願寺の拠点となった。その後本願寺は大坂天満に移転し、1607年(慶長12年)、本願寺准如から「願泉寺」の寺号を授けられた。慶長15年(1610)徳川家康から黒印状を下賜されて寺内町となり、明治までの250年以上に渡って住持の卜半氏が「貝塚寺内町」の領主となって自治を行った。また、明治までは東西本願寺と関係を持っており、両本山歴代門主の絵像を蔵している。現在は西本願寺に属している。
本堂、表門などの建造物は国の重要文化財に指定されている。現在の本堂は1663年寛文3年)の建立で、老朽化のため平成16年から半解体修理が行われている。
 

たわわの里にくつろぎに行ってきました!
コンビニでかやくおにぎりを2つとサラダ
家から持参のインスタントたまごスープ(これメチャ旨い)
備え付けの木製テーブルの上で
コンパクトストーブでスープを作りました
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景観のよいオープンレストラン!??  
 
造られた自然がそれなりの雰囲気を出しています、四季の植物や木々を楽しめます
 
大阪の南部の泉州地域には、6,600haの農地があり(府下の約38%)、伝統ある玉ねぎをはじめ、水なす、キャベツ、軟弱野菜、みかんなど多様な作物が栽培され、府内でもっとも農業の盛んな地域です。
 「たわわ」は、今から60年ほど前、農業用水を確保するためにダム建設の計画があったところです(場所は貝塚市馬場地区)。しかし、その後の社会情勢の変化からダム建設計画は中止となり、大阪府、貝塚市、地元町会などがその計画跡地の活用について議論を進めました。その結果、豊かな自然環境を保全・活用し、自然や農にふれることのできる「農業庭園」として整備することが合意され、平成16年4月に 奥貝塚・彩(いろどり)の谷「たわわ」として生まれ変わりました。
 
(1)たわわ館(管理事務所)
(2)いろどりの店(農産物直売所)
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(3)彩農園(会員制市民農園 1区画60m2 162区画)
(4)収穫体験農園
  いちご、ぶどう、花(コスモス、ひまわり、ポピー)、いも、たけのこ
(5)体験水田
(6)たわわの森(5ha)
  くり園、しいたけ園、雑木林
(7)水辺
  奥出池、秬谷(きびたに)川
(8)バーベキューコーナー
(9)駐車場(100台収容、大型バス駐車可能)
 
ここを道なりにすすんできび谷方面に右折すると・・熊取町永楽ダムにでますよ~♪

5/3日 5:00起床→6:00 たまねぎ集合出発5名 
道の駅8:10 2名合流総勢 7名
コンビニがありませんので・・・道の駅で菓子パン×3個 水は持参しましたが・・
弁当が無いのでガッカリです↓↓↓・・・
朝ごはんも菓子パン×1個です!
 
9:10 旭登山口~登山開始  快晴でぬけるような青い空
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   景色に背中を押してもらって快調に登山
   お昼はインスタントのフカヒレスープこれは大当たりでした!
   菓子パン×1とおにぎりのおすそ分け(めんたいおにぎり)
  昼食はこれで問題ありませんでした・・・・・
  釈迦ケ岳~大日岳~旭登山口のコース
  大日岳の行場 ここ20年間で一番怖い体験でした・・・・・・・
  
  頂上の人たちが「登って来たぞ!」と歓声があがりました・・・
  チャレンジ4名中唯一の脱落者が・・・私です!ガハハ#!
4:45分下山
 
十津川の公営スパで汗を流して・・・・乾杯ですが・・・私は運転するので!
うまい水で・・・・
 
7:05分 現地で解散
9:05分 たまねぎ駐車場
 
 
 

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